声は人生の道具
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肝の据わったヤツは、声がどっしりしている。
逆に気の小さいヤツは、声が軽いしうわずる。
もちろん肝の据わったヤツでもビックリした時は高い声を出すし気の小さいヤツでも、腹を決めたら声は落ち着く。
どっしりと落ち着いた声で話されると、聞く人の心を安定させ、勇気づける働きを持つ。
逆に甲高い声で早口なら、聞く人の心をかき乱し、イライラさせる。
こういうことは経験で多くの人が知っているわけで、だからできるヤツはこの二つの声を上手く使い分ける。
様々な声のバリエーションで、言葉以上の影響を相手に与える。
そしてそのためのトレーニングも欠かせない。
たとえば演劇部の部員は、発声練習を欠かさないはずだ。
というのも声というのは役者の道具であり、磨く必要があるからだ。
それというのも声の使い分けが演劇には必要であり、また客席の隅々まで、自分の声を届ける必要があるからだろう。
声というのは常にトレーニングしておかないと、うまく出なくなってしまうものらしい。
プロは基本練習を絶対に欠かさないというが、それはつまり商売道具を常に最良の状態に保つためで、料理人が毎日包丁を研ぐようなものなんだろうね。
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読経で発声練習
発声練習の方法には、色んな方法がある。
「ア・エ・イ・オ・ウ・オ・ア・オ」「カ・ケ・キ・コ・ク・コ・カ・コ」と、五十音順に順に練習する方法もあるし、「筑波山がまの油売り口上」と言うのを覚えてこれをやる方法なんかも有名だサァーサァーお立会い、御用とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで、手前ここに取りい出したる陣中膏(じんちゅうこう)は、これ「がまの油」、がまと言ったってそこにもいる・ここにもいると言う物とは物が違う。
手前のはこれ「四六(しろく)のがま」四六五六(しろくごろく)はどこで見分ける。
前足の指が四本(しほん)で、後ろ足の指が六本(ろっぽん)これを名付けて 「四六のがま」だというやつだ。
また、お坊さんのようにひたすらお経を読み上げるという方法もある。
こちらは、般若心経なんかが有名だ。
まかはんにゃーはーらーみーたーしんぎょう、ぎゃーていぎゃーていなんて言うのは一度くらいは聞いたこともあるだろう。
他にも真言宗などでよく使われ、法事の際に唱えられる十三仏真言(マントラ)なんていうのもあって、私なんかはこちらを覚えてやっている。
(参考:ウィキペディア・真言)真言というのは、体に響く呪文のようなものだけれど、十三佛真言の場合は、短い上に、時間がなければ不動明王の真言だけ唱えればいいと言うことで、便利。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」と好きに唱えるだけ。
どれがいいかというのは、目的によって違うわけだが、発声練習は常に欠かさないようにしたいモノだ。